番外編1 TOKYO POP 1

20年近く前のことなんでうる覚えなところもあるけどこのコーナーでひさびさに書いてみることにする。

まだ僕がアマチュアバンドだった時にいやもうプロダクションとの契約はかわしていてデビューするまでの狭間の時期だっただろう。
リハーサルに突然、外人の女の人と日本人の変わった男の夫婦がやって来た。
僕は用があったんでリハーサルが終わったらその場でお暇させてもらったがメンバーはその後, お茶か何かんに行ったと思う。
後にその変な夫婦が映画TOKYO POPのプロデューサー葛井さんとフラン監督だったと知った。

学生時代は萩原健一さんのファンで彼の出演する映画やドラマはほとんど観ていた。
演技というものには少なからず興味をもっていたんだな。
大阪のライブハウスでライブをした後、今度は二人がご飯を食べようと誘ってきた。
葛井さんは水のように冷酒を飲んで陽気になってデカイ声で話していた。
フランは何やら観察したり探ったりで僕に質問を浴びせ続けた。
僕はというと映画には憧れがあるんだということを酔っていたせいか何度もリピートしていた。
まさかそれが映画TOKYO POPに出演するきっかけになるとは知らずに。

しばらく時が流れレッズはプロデビューを果たし順調に進んでいた。音沙汰がないなと思っていた矢先に突然、ニューヨークへ来いと呼び出された。
22歳になるまでアメリカは一度も行ったことがなく英語もほとんど喋れないに等しい僕に突然一人でやって来いと言っている。
当時のニューヨークは今と比べて治安が悪く金を持っているようにみえるとすぐにホールドアップされてしまうという噂が渦巻いていた。

僕は期待と不安を胸に腹巻サイフに金をしまいぼろぼろの皮ジャンを着てケネディー空港に向かった。
着いてみたら案の定、誰もいない。
恐怖に包まれて1時間空港をふらふらしていた(今なら携帯電話があるが当時はまだそんなもんもなかった)。
「しょうがない、一人で何とか行けるのかな?」
と思った矢先に葛井さんが迎えにやって来た。
「ふうっ」内心ほっとしていた。

そして初アメリカは初ニューヨーク。
マンハッタンブリッジを渡ったときにラジオからS&Gのアメリカが流れた。
「これが映画の世界で夢に見たアメリカか。」
ワシントンスクウェアーのそばの当時はヒッピーが泊まっていたというおんぼろホテルに宿を取った。
そこが葛井さん夫妻の家から近かったからだ。
着いたときはもう夜だったんで葛井さんとバーに行った。寒かったの覚えてるって事は多分、冬だったんだね。
「ローリングロックはヤッピーの飲むビールだよ」と葛井さん。
何だか水のように薄く感じたがここはアメリカだ。ニューヨークだ。
「今日は着いたばかりで寒いだろうし時差もあるから明日ね」なんて気軽に葛井さんと別れた。
ホテルに帰る途中、物凄く背の高い黒人達が寄ってきて
「クラッククラック」なんて言っていた。
もちろん薬の売人だ。僕は正直言って一人ぼっちだし恐かった。
無事にホテルにたどり着いたがホテルは本当にぼろぼろだった。
当時のニューヨークは治安が死ぬほど悪くて今にも泥棒に入られそうなホテルというか民宿のようなとこだったね。

翌日、フランの事務所に遊びに行った。
「今日、ジョンレノンの本の出版記念がディスコであってオノヨーコさんが来るみたいだから行ってみない?」
なんて言ってた矢先、事務所の知り合いから連絡が入り突然、ピストルを持った男にホールドアップさせられて彼らが金を取られたらしい。
「ニューヨークはなんて危険なとこなんだ。」
と思いながら夜にジョンレノンの出版記念に行った。
ビップの入り口に入りその時、初めてあのジョンレノンの写真家ボブグルーエンとも出会った。
驚いたことだがフランもボブも小学校が一緒だっったっていうことを知ってお互い目を丸くしていた。
それが縁でボブはTOKYO POPのスチールカメラマンになった。僕はそれ以来ボブとは仲良くして貰っている。

その後、オノヨーコと会った。何だか淡々としてさばさばした感じの人だった。
ピンとこなかったのはきっと憧れが強すぎたせいだよ。
初めてのニューヨークはその後、ライブハウスにいってジュニアーウェルス&バディーガイを観たりかなり刺激を受けて帰って来た。
英会話を自己流で勉強しながらNY〜TOKYOを繰り返していた。

しかし1年後になるまでTOKYO POPはクランクイン出来なかった。