Vol.14 再結成

レッズを解散して10年くらいの月日が経っていた。
再結成をする話は二度持ち上がったけど流れていた。

96年の僕の体には物凄いパワーが渦巻いていて誰にも止めることができなかったくらいに弾けていた。
仕事は映画「弾丸ランナー」初舞台は「ロックトゥーザフューチャー」未だにテレビワイドショーには追っかけられ、自分のライブは日比谷野音と立て続けに飛ばしまくっていて私生活も当時は彼女がいなかったんだがモデル、タレント、女優と今思うとかたっぱしから驚異的にモテた。
何だか眠ることさえ出来ないくらい激しい何かにとりつかれていて何も恐いものがないように感じた。

そんな時にレッズを再結成してみないかというオファーが来た。
僕は当時きっとつけあがっていたんだろう。
何をするのにも自信があった。そして引き受けた。
ところがバンドを、特にチームワークを舐めちゃいけなかった。
レッズはスタッフやファンも含めてバンドに対する思い入れがみんな強くソロとは全く勝手が違っていた。
誰のせいという訳じゃなく転がり始めてから気づいたんだが、スタッフも含めて思い入れが強いのはいいがみんなの向く方向性がバラバラだった。
シャケのやりたいこと、キヨシの言い分、スタッフの求めるレッズ、そして物凄いエゴイスティックなエネルギーの当時の僕と、まとまるはずがなかった。
でも武道館は10分で売り切れた。
赤坂ブリッツでデモンストレーションのライブをやったがバラバラなレッズはひとつの塊としての車輪が回転しなかった。
「武道館は大丈夫か?」「期待はずれだ!」
とかスタッフにも言いたい放題言われた。
いくら僕が野音をやってたとしてもせいぜい3000人くらい。
武道館は1万2000人で約4倍くらいだし惜しまれて解散したバンドの再結成。
チャンピオンのまま引退した選手が10年ぶりに帰って来る。
みんなの熱い思いや期待が半端じゃなかった。

「よし、回転しようがしまいが今一番エネルギーが燃え滾る僕が目いっぱいブルドーザーのごとくぶっ飛ばしていこう!」
そして超満員武道館のライブが始りしょっぱなから飛ばした。
正直言ってあんなに飛ばしたのは初めてだったと思う。
自分がロックンロールだと思うことを全てあのライブに表現集約した。
気がついたらバンドも飛び越えて日本や世界へ反逆的な態度をする自分がいた。
タバコは投げるは(次の日のCHARがタバコをライブで吸うことができなかったらしい。ごめんね)水はバケツごと撒くは、天皇やお役人を罵倒してやりたい放題だ。
本当に子供っぽい表現だったと思うが当時のレッズが求められていることを倍にしてぶっ飛ばしてやった。
(このライブは当時LDやビデオでキャニオンから発売されたが未だにDVDにはなっていない。かなりカッコいいライブなんで知らないみんなに観て貰いたいんだけどね)
ライブが終わった瞬間に自分にとりついていた何かが飛び散っていくような気がした。
凄い充実感が体を満たした。

だがしかしだ、次の日のスタッフミーティングで分かったことだが僕はぶっ飛ばすどころか本当にぶっちぎってしまったらしい。
みんなに喜んで貰うどころか総スカンを食った。
というのは、僕がライブで必死に表現したロックンロールの態度がたまたま観に来ていたお役所の人達に反感を買い武道館出入り禁止になりスタッフは始末書を書かされ次に控えていた全国ツアーも危ういことになっていたらしい。
世が世だったら逮捕されてたかも(苦笑)
後で分かったことだが地方の会館は全て武道館が頭になって運営されているらしい。
そしてスタッフやメンバーさえ僕を一斉に非難した。
まるでオリバーストーンの映画「ドアーズ」を観ているようだった。
そう言われてもみんなのためにがんばったんだけどさ。
ブレーキが利かなくなってやりすぎちゃったんだよ。
まさに天から地に落ちた英雄ドンキホーテって感じだったよ!

そのライブを境に僕のロックへの表現は少しずつ内に向かっていくようになった。
いや96年の僕はあのままの人間でいたらきっと燃え滾るエネルギーをどうコントロールしていいか分からずに冗談抜きで天国か地獄へ行っていたかもね。

その後、レッズは1999年に再々結成をはたし3年間駆け抜けた。
いろいろあったけど誰もが口ずさめるヒット曲を飛ばす以外はレッズではやれることは全部やったつもりだよ。
これはあくまでも僕だけの意見だけどレッズに関してはもう何も悔いは残っていない。
本当に最高にイカシタ仲間達と出会い、たくさんの人達に愛されラッキーだったと思うよ。
それは今でも宝物のひとつだよ。ありがとう。

しかしセンチになっちゃいられない。
男一匹ダイアモンド☆ユカイはさらに転がり続ける。
明日に向かって今もローリングオンザロードだぜ。