Vol.09 ピエロの迷える囁き ソロになって初めてのI'm the Best 全国ツアーを終え、気分はもっとぶっ飛ばした作品を作ろうと調子に乗っていた。 しかし、時代は今頃になって日本全国にバンドブームというやつの火がついてテレビや芸能界を中心に猫も杓子もバンドバンドになっていた。 そんな中、ソロの本格派シンガーを目指すなんて完全に時代に逆行していた。当事の二人三脚でやって来た所属事務所も社長が急に変わったりごたごたしてたり急に方針を変えたりでいつしか僕のやろうとしてることに何でもかんでも反対するようになっていった。 結局、ロックアーティストと言っても日本は芸能界の色が濃く才能ある若造でもバックアップする奴らが手を貸してくれないかぎりなかなか思い通りには前に進めないことの難しさをつくずく味わった。 ファーストアルバムI'm the Bestもベストテンに入りそこそこ売れていたし次のアルバムを待つファンの声が今にも聞こえてきそうだったのに事務所との確執で約1年間何もできないでいらいらする時を過ごした。 俗にいう飼い殺しってやつになりたくなかったしこのままの状態が続くとダイアモンドユカイ自体も忘れられてしまうのではないかと不安になり、奴らのいう条件をすべて飲んで1年のブランクの後やっとアルバム製作に入った。 I'm the Best はセルフプロデュースで作ったが今度はそれ専門でやってるプロデューサーを立てることになった。芸能界では僕の子供の頃好きだった沢田研二を長い間プロデュースしてた木崎さんと吉田健さんだ。 しかし始まってみると今まで僕が作り上げてきたダイアモンドユカイのイメージを根底から覆すということになってしまったんだ。 速球投手がいきなり変化球しか投げなくなったようで当事のファンは唖然としたことだろう。 今思えばまだ僕にはロックンローラーとしてのダイアモンドユカイの創作者としてのアイディアがたくさん膨らんでいて本当に心から変わりたいという変わる準備ができていなかったんだろう。 いい曲やいい歌も断片的にはあったがこの<ピエロの囁き>は100%これだと信じた作品をリリースできなかったという自分のキャリアは傷つけることになったかもしれない。が今となってはこれもいい経験をしたんだなと思う。 ほんの少し大人になったかな? この作品以降、野球で言ったらプレイングマネージャー的な自分が芽生えてくることになるんだからね。 しかし一匹狼で生きるってことは思ったより難しいんだよな。 |