Vol.01 ツィスト&シャウト

20周年を記念して新しいコーナーを立ち上げた。 ちょっと照れくさいタイトルだけど自分のルーツであるビートルズを振り返ってDY自身の本質を新たに発見したり忘れてたことも見つけられたらなあなんて思いながら。 あれは忘れもしない中学2年の春だった───。 当時野球部だった僕はのほほんと毎日を送っていた。しかし、とある練習試合で突然に悲劇は起きた。打席に立っていたユカイ少年の足にボールが直撃したのである。それくらいのことはたいしたことではない。ボールは軟球だし、柔らかいし、などど鷹をくくって二盗三盗ときたがその時足のかかとに痛みが走った。 すぐに治るだろうと次の日の練習にも参加した。が、足が比較的速い方だったはずなのにダッシュもビリッケツ。二、三日練習に参加したが足が日に日に腫れ上がっていく。こりゃ大変だと医者に駆け込んでみたら足は石膏でぐるぐる巻き。生まれて初めての骨折ということになってしまった。しかも練習を続けていた事もたたって1年くらいは石膏を外せないなんてぬかしやがる。 それからというものユカイ少年はムラムラしながら家に帰宅する帰宅部と化してしまった。 「やることもない。それに受験勉強なんてまるでガリ勉と変わらなくなっちまう。」 なんて思いながらしけた毎日をしばらく送っていた。そんなつまんなそうな僕を見かねたのか友達の山崎(後にはじめてバンドを結成した時のドラム)がビートルズのプリーズ・プリーズ・ミーのレコードを持ってきてくれた。 「これでも聞いてみろよ。音楽って言ったってロックはなかなかいかすもんだぜ。」 山崎の去った後ビートルズのレコードを見たがしばらく聞く気にもなれなかった。 僕は実をいうと音楽が大嫌いで音楽の授業中はいつも居眠りをしているか女の先生を泣かしているかのどちらかだったのだ。それに親が共稼ぎでダブル公務員だったせいか比較的しつけにも厳しく不良は大嫌いだった。 当時キャロル(矢沢永吉がやっていたロックバンド)が流行っていてリーゼントにツッパリなんていう言葉が流行語になっていた。しかも僕は輪をかけて天邪鬼だった。人がいいというものは死んでも嫌だったからだ。 そんなわけでビートルズのレコードはしばらくの間ほったらかしにされていた。 野球部の見学にしばらく出ていたが飽きてしまい、いい加減帰宅部にも飽きてしまった。そんなある夕方、部活の仲間にもはぐれ、友達の山崎はいつも繁華街に遊びに行っていたし僕は一人ぼっちだった。しょうがなしに「暇つぶしに」ビートルズのレコードをかけてみた。 「なんてことはないガチャガチャしてるだけだ。しかし待てよ。」 体が自然にリズムを刻みだし何だか楽しくなってきた。最後に決定的だったのはジョンの歌うツィスト&シャウトだ。 「何だこれは。声が枯れているけどこの叫びは気持ち良さそうだ。しかもムラムラ、イライラした今の気持ちを吐き出してくれるぞ。」 気がついたらレコードと一緒に何度も何度も歌っている自分がいた。 これが僕とビートルズのそしてシャウト唱法との始めての出会いだった。ということで悪夢のデットボールがなければ僕は今のように歌を歌っていなかったかもしれないし山崎がビートルズのレコードを持ってこなければビートルズとも出会ってなかったかもしれない。運命とは本当に紙一重ってもんだね。 その後はレコードにあわせて歌っているだけでは飽き足らずギターを覚えてビートルズの歌を歌うようになった。そう僕の音楽人生の第一歩はこんな風に始まったのである。